昨日の新月は皆既日食で、今年の重要なポイントだったらしい。
わたしは特に体調も悪くなく、「皆既日食だからどうなの?」って感じだったけど、今日、ヒーリングの練習会に行って、インテークを取り合っていたときに、自分の口からすらすらと出てきたのは、まさに
「自分って今、転換点だった。」という気づきをもたらす言葉の数々だった。
今まで抱えていた、やる気満々でがんばるっていう自分のパターンとはちがっていたから、まったく気づいていないだけだったのだ。(笑)
さらに、ヒーリングを受けていたとき、自分の中になんか「降りてきたもの」を感じ、はっとした。
その降りてきたものって、宇宙の英知みたいな感覚だったのだけど、今読んでいるディーパック・チョプラの本と重なる部分があって、夢うつつの中で「おおっ」と思った。
インテークで、相手をしてくれたMちゃんに「なんだか、(わたしが語ったことが)とても自然で、『らしい』と思った。」といわれ、
「ああ、わたしの持ち味ってやっぱこんな感じなんだなぁ」と改めて感じる。
これは、もともと幼いころから自分自身が持っていたものだった。
でも、なんとなく、そのころの時代と合わない自分がいて、「がんばりやの自分」を創り上げて、それを自分だと思っていた。
でも、実はこの「がんばる自分」はなんだかとても苦しかった。(みたい)
今はもう、がんばらなくていいんだ。
もっと楽しもう。
と思っている自分がいる。
だいたい、「がんばる」って価値観は、外に価値を見いだしているから、出てくることばかもしれないもんね。
自分が「たのしいこと」をしていれば、はたからは「すっげ〜がんばっている」ように見えても、自分はちっとも苦しくないんだよ。
だって、好きでやっているんだから。
そんなことを思ったり、考えたりした1日でした。
前クールはまったドラマは「ルーキーズ」
息子たちと毎週楽しみにしていて、息子が「キセキ」(ルーキーズの主題歌)をダウンロードしたのを聞いて、私もダウンロードしちゃった。(笑)
最終回の川藤先生のセリフに
「あいつらは『今』を生きているんです。あいつらには『今』しかないんです。『今』を生きるために力をかしてください。」
というのがあったけど、その『今』を大事に全力投球した結果が、明日につながっていく(出場停止に大半の理事が反対してくれる)という展開にとてもかんど〜しました。
9回ノーアウト1,2塁で、4番に打たれそうになって、
「もう、だめだ」とだれもが思ったときに、(謹慎中のはずの)川藤があらわれて、みんなが気力を持ち直すというのも(ドラマ的にはベタだけど)素直に感情移入できました。
録画、もう、4回くらいみちゃったよ。
なんか自分に力を与えてくれるドラマだったなぁ。
素直に努力する。
好きだから、がんばる。
目標とか夢とか、ちょっと「イマドキ」にはクサイように思えるテーマを直球ストレートに描いていて、
私のツボにはまりました。
今朝も力をもらって、仕事いってきます。
最近、しみじみと思うことは・・・・・・
「あせらず、ゆっくりと・・・・・・・」ということだ。
占星術とか、自分自身のまわりの出来事とかを照らし合わせてみていると、もともと自分は活動宮が少ないし、火の星座も少ないということもあり、なんかを衝動的にやろうとしても、空回りすることが多いみたい。
それよりも、周囲からの引き立て運とか、働きかけとかそういうタイミングとかも大事なのかなぁと思ったりもする。
ガンガン自分の力で道を切り開いて行く人をみると、ちょっと焦りみたいな気持ちを感じることもあったけど、なによりも個性が違うんだから比べても仕方ないと思うようになった。
それよりは、自分の中に「どうしたいのか」という意図をしっかりと持って、「時が満ちてくる」のを待つのもいいのかなぁ・・・・・・と。
そんなことを思うのはね、「お金」のことに取り組んでいたとき、
「ピーンチ」と思うと、どこかしらか、必ず「救いの手」がさしのべられていたという体験から。
先日も、「お金がピンチ」だと思ったら、アルバイトの話が舞い込んできた。
前にやってたバイトだけど、人が足りないから手伝って・・・・・ってことで。
おかげで、ハードな日々になったけど、ある意味で、「ああ、これが自分の持ち味なのかも」って思ったりした。
「自分でなんでもかんでもやっている」のではなくて「他人に生かしてもらっている」のかもね・・・って。
遅ればせながら、夏休みの家族の予定を一覧にした。
(模造紙に日にちを書き、家族の予定を書いたもの)
・・・・・・・すると・・・・・・・
私以外の3人の予定は、ほぼぎっしり・・・・・・・@_@
ああ。子どもが大きくなるってこういうことね。・・・・・・と実感する。
でも、私はさばさばした月・水瓶座。
別に寂しさも感傷もまったくなし。
私もそれなりに年をとってくるので、子どもが小さいときにやっていた「自分が率先して外にでて・・・・・遊ぶ」というのは、もう無理だし〜。
それに、自分の「今」はおざなりでも、子どもの「今」には全力投球してきたという自負があるので、
「おおっ!ここまでそだったか・・・・よしよし」という気持ちが大きい。
中1の長男は、夏期講習だの部活だので、連日用事・・・・・まったりのんびりするのが大好きな彼としては、ちょっと辛いらしい・・・・・・
でも、こういうのが、今の君の糧になるんだよ。
大きな実りを得るためにがんばれ・・・!と涼しいクーラーの部屋でのぽぽんとエールを送る母なのでした。(笑)
この1ヶ月半は忙しかった。
でも、仕事や家事、雑事に追われているようでも、きちんと自分と向かい合ってもいたみたい。
・・・・・・というのは、最近、星の動きと同調するかのように「切り替わった感」があったのだけど、
それがなんなのかがjこの忙しい時期でもわかりかけてきたから。
そして、「この自分が楽」「この自分が自分らしい」としみじみ感じて生活している。
それは、「とてもみずがめ座っぽい」とでもいうのだろうか?
ちょっと「ハスに構えている」とでもいおうか?
「自分は自分でいいじゃん」という開き直りみたいな感じである。
一体、誰が、自分の奥の奥の可能性まで読みとることができるのだろう?
人が人を判断する・・・・・・・それはとても恐ろしいことだ。
「あの人はだめ」「この人はいい」
それはその人の主観でしかない。
もっとも、行動の基準はある。
マナーを守ること、譲る気持ちがあること、感謝の心があるかどうか、あいさつができるかどうか。
聞く耳をもっている人かどうか・・・・・などなど。
でも、人が人を判断するって、そんな程度じゃないだろうか?
私はいつのころからか、人の評価や判断をとても恐れてしまっていた。
「あの人はダメ」
そう言われないように生きてきてしまった。
子どもができたら、その子どもの育て方まで評価されてるような気分に陥っていた。
でも、評価を恐れていたら自分らしさはでてこないのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
むか〜し、高校時代、弓道をやっていた。
1年の頃は端にも棒にもひっかからないような感じで、OBにも先生にも教えてもらえなかった。
でも、なぜかその時の私はこう思っていた。
「大丈夫。コツコツ練習していれば、きっとうまくなる。私は大器晩成なんだから。」・・・・・・と。
なんの根拠もないのだけど・・・・・・・・(笑)
でも、その思い通り、3年になるころには、レギュラー選手になり、すべての試合にフル出場を果たし、二段も取得。
県大会では遠的で準優勝した。
私がこうなることを2年前はだれ〜も見抜けなかったのだ。と思うと、ちょっと愉快な気持ちになった。
そんなことを最近になって再び思い出した。
自分のことを自分自身が信じてあげること。
そうすると、自分はすごい力を発揮するのではないか?
あのころは、純粋に自分の力を信じていた。
だから、あの場所にたどり着けたのではないか?
今まで人の評価に右往左往していたから、ちっとも楽しくなかったのではないか?
そんなことを考えていた。
現在、ちょっとハスに構えている自分の存在。
そんな自分を別の自分が眺めつつ・・・・・・面白いなぁと思っている。
自分の中のみずがめちゃんの夜明け・・・・・みたいなそんな感じ。
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