今朝、たまたま早く目が覚めて、眠れなかったので、私にしては「めずらしく」瞑想をしてみた。
はっきり言って、私は瞑想が苦手。
ねちゃうから(笑)
でも、今回は15分くらいは寝ないでいられた。
そのときみた印象的なビジョン。
私はなぜか、制服(でも、自分が卒業した学校の制服じゃない知らない制服)を着て、校舎の屋上に立っていて、ゆっくり体を前に倒し、地面に落ちていった。
はっとして、我に返ったけど、なんか象徴性があるなぁ。と思った。
今の自分は「なにか」から決別しようとしているんじゃないか・・・・・と。
古傷みたいなものにちょこっと触れたような感覚があった。
もう、何事にも「しがみつかない」ようにしようと思っている今日この頃。
最近、しみじみ感じるのは、「バウンダリィって大事だ。」ということ。
とにかく、1にも2にもバウンダリィ強化。これができてはじめて「自分らしさ」が出せるのだと思う。
あ、私の場合ね・・・・・・・・・
もともと自我が強い人にはあてはまらないかもしれないけど・・・・・・・・
いつでもどこでも「自分は安全だ」という意識ができてくると、人との関わりが楽になる。
昔、対人恐怖気味だったのは一体なんだったの?と思えるほどだ。
さらに、占星術のおかげで、「人との感受点のポイントの違い」が理解できるので、「人との違い」を面白がれるようになってきた。
でも、「まだまだだな〜>自分」と思うのは、子どもがからむ活動において、「おいしいところだけもっていって、自分は手を汚そうとしない人」に対して、つい、憤ってしまうこと。
そう。
太陽・山羊なので、組織の一員として機能しないひとはほんといやなのだ。(って、月は水瓶だから、そんなにガツンと深刻なわけでもないんだけど)
自分自身だけの活動だったら、協力しない人に対しても「べつにいいか」と思えるのだけど、「子どもがからむ活動」には目くじらたててしまう自分。
こういう人(協力しない人)の子どもがあとで、名をはせて、(子どもが無事に育つのはいろんな人のおかげなのに)「母の子育てがよかった。」式に言われ、母は母で「子どもには自由にやらせました。」的な発言をするのはかなり許せないなぁと思ったりする。(実は放任してただけかもしれないし)
いつの時代も、どんな人にとっても「母」は特別の存在だけど、別にそんなに偉いわけでもないよ。
偉いのは、いろんなことをプラスに吸収して成長した子供自身とその子どものご縁の方だ。
というのは、母をやっている自分の実感でもある。
ほんと、ここだけの話なのだけど・・・・・(ってブログに書くな!)
明日から、ライフスクールの集中研修があります。(at 長野)
今回の私は不参加・・・・・・まあ、いろいろ事情がありまして・・・・・って、実はもとから(春頃から)
「今回はパス!」って決めていました。
それで、最近になって「どんなメンバーが参加するのか・・・・・・」ってリサーチしたら・・・・・・・
古株(?)は少なくて、割とnewなメンバーが多いみたい。
最近、私は、いろんなことに対して「神の計らい」のようなものを感じています。
今回のメンバー構成もそう。
本当に巧妙に仕組まれているかのような(?)出来事が一人一人の中で起こるのだろうなぁと、密かに予感しております。
そして、その出来事は、遠く離れた私の元にもきっと影響があるのでしょう。
合宿に行くみなさん、いろんな意味で、楽しんできてくださいませ。(って、誰も見てないだろうけど・・・・笑)
こんなに暑いと山に行きたいと思う。
子どもの頃、両親と毎年家族旅行に出かけていた。
最初のうちは海だったけど、そのうちに山が多くなり(涼しいから)、その影響からか、私と弟は山が大好きになった。
特に好きなのは「北アルプス」
あの、雄々しい尾根と稜線が好きだ。
信州は本当にいろいろ行った。
子どもが出来てからいろんな事情でしばらく山の旅行はお預けになっていたけど、3年前のライフスクールの集中研修で子連れで伊那の地を訪れてから、「山大好き熱」が復活した。
集中研修で使われる伊那路の「入野谷」は、とても女性的なエネルギーで、以前の私だったら、「う〜ん。まあまあかな」という感じだったと思うけど、お母さんになった今の私にはとても必要なエネルギーに溢れている地だった(と思う。)
今回の集中研修には不参加(そのころは息子の合宿を手伝っています)だけど、家族で上高地に行くことになった。
上高地と乗鞍と飛騨高山。
地名を聞いただけでも胸がときめく。
自分にとって「山」は非日常につながる場所のような気がしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと補足。
入野谷について、「(自分にとって)まあまあかな」と思うのは、比較的なじみのある風景であるということもあります。
あの里山自体、自分の知っている(住んでいる場所からそんなに遠くないところ)場所と似ていたりもするから。
ちょっと違うのは、関東(千葉)は平野がメインだけど、信州は山がメインだというところ。
そういう意味で、エネルギーの質はやっぱり違います。
感覚的に千葉と信州が違うと思うのは、「懐に抱かれる」という感覚が持てるというところかなぁ>信州
自分の覚え書きです。
「医龍」の再放送をみていました。
ある回の放送のときに、入院中のおばあちゃんが外山先生に言った台詞。
「自分一人で生きているんじゃないのよ。まわりの人に生かされて生きているの。」
このセリフ、本放送でも聞いたけど、今回は「おおっ」と思った。
さらに、ある方の日記(ブログ)から。
「自分が女子としてだけ生きていたころのことの思い出して・・・・・・(以下省略)」
さらに別の方の日記(ブログ)から
「自分が好き勝手自由にやることを、世間の枠組みに落とし込むんだ!という目的があるなら、今からの夏が技能習得(実戦含む)本腰だよ、ということです。」
読んでる方にはなにがなんだかわからないでしょうけど、「おおっ」と思ったフレーズの数々。
そして、今、考えているのは、「風らしく生きる」ということ。
つまり、なににもこだわらず、執着しない。ということ。
思えば、女子としてだけ生きていたころは(お母さんでも妻でもなく娘としてだけ生きてたころ)何事にもあんまり執着してなかった。
それが私にとってよかったんだなぁ・・・・・・・としみじみ感じる。
そして、「生かされている」という感覚。
自分が「してやっているんだ」ではなく、「そういう仕事をさせていただいている」という気持ち。
これも大事だなぁ・・・・・・・と。
そして、ちょっとこれからきっちり本腰いれてやりましょうか・・・・・・・・という、気合い。
全部必要なモノだった。
誰かの文章や言葉を通じて語られて、自分の琴線に触れたのでメモしてみました。
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