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あせらずゆっくりと・・・・・

最近、しみじみと思うことは・・・・・・

「あせらず、ゆっくりと・・・・・・・」ということだ。


占星術とか、自分自身のまわりの出来事とかを照らし合わせてみていると、もともと自分は活動宮が少ないし、火の星座も少ないということもあり、なんかを衝動的にやろうとしても、空回りすることが多いみたい。


それよりも、周囲からの引き立て運とか、働きかけとかそういうタイミングとかも大事なのかなぁと思ったりもする。


ガンガン自分の力で道を切り開いて行く人をみると、ちょっと焦りみたいな気持ちを感じることもあったけど、なによりも個性が違うんだから比べても仕方ないと思うようになった。


それよりは、自分の中に「どうしたいのか」という意図をしっかりと持って、「時が満ちてくる」のを待つのもいいのかなぁ・・・・・・と。


そんなことを思うのはね、「お金」のことに取り組んでいたとき、

「ピーンチ」と思うと、どこかしらか、必ず「救いの手」がさしのべられていたという体験から。



先日も、「お金がピンチ」だと思ったら、アルバイトの話が舞い込んできた。

前にやってたバイトだけど、人が足りないから手伝って・・・・・ってことで。


おかげで、ハードな日々になったけど、ある意味で、「ああ、これが自分の持ち味なのかも」って思ったりした。


「自分でなんでもかんでもやっている」のではなくて「他人に生かしてもらっている」のかもね・・・って。

夏休み

遅ればせながら、夏休みの家族の予定を一覧にした。
(模造紙に日にちを書き、家族の予定を書いたもの)

・・・・・・・すると・・・・・・・

私以外の3人の予定は、ほぼぎっしり・・・・・・・@_@


ああ。子どもが大きくなるってこういうことね。・・・・・・と実感する。


でも、私はさばさばした月・水瓶座。


別に寂しさも感傷もまったくなし。


私もそれなりに年をとってくるので、子どもが小さいときにやっていた「自分が率先して外にでて・・・・・遊ぶ」というのは、もう無理だし〜。


それに、自分の「今」はおざなりでも、子どもの「今」には全力投球してきたという自負があるので、
「おおっ!ここまでそだったか・・・・よしよし」という気持ちが大きい。



中1の長男は、夏期講習だの部活だので、連日用事・・・・・まったりのんびりするのが大好きな彼としては、ちょっと辛いらしい・・・・・・


でも、こういうのが、今の君の糧になるんだよ。


大きな実りを得るためにがんばれ・・・!と涼しいクーラーの部屋でのぽぽんとエールを送る母なのでした。(笑)

人に判断される・・・・・ということ

この1ヶ月半は忙しかった。

でも、仕事や家事、雑事に追われているようでも、きちんと自分と向かい合ってもいたみたい。

・・・・・・というのは、最近、星の動きと同調するかのように「切り替わった感」があったのだけど、
それがなんなのかがjこの忙しい時期でもわかりかけてきたから。


そして、「この自分が楽」「この自分が自分らしい」としみじみ感じて生活している。



それは、「とてもみずがめ座っぽい」とでもいうのだろうか?

ちょっと「ハスに構えている」とでもいおうか?

「自分は自分でいいじゃん」という開き直りみたいな感じである。





一体、誰が、自分の奥の奥の可能性まで読みとることができるのだろう?

人が人を判断する・・・・・・・それはとても恐ろしいことだ。

「あの人はだめ」「この人はいい」
それはその人の主観でしかない。



もっとも、行動の基準はある。

マナーを守ること、譲る気持ちがあること、感謝の心があるかどうか、あいさつができるかどうか。
聞く耳をもっている人かどうか・・・・・などなど。


でも、人が人を判断するって、そんな程度じゃないだろうか?



私はいつのころからか、人の評価や判断をとても恐れてしまっていた。


「あの人はダメ」
そう言われないように生きてきてしまった。


子どもができたら、その子どもの育て方まで評価されてるような気分に陥っていた。




でも、評価を恐れていたら自分らしさはでてこないのだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


むか〜し、高校時代、弓道をやっていた。

1年の頃は端にも棒にもひっかからないような感じで、OBにも先生にも教えてもらえなかった。

でも、なぜかその時の私はこう思っていた。

「大丈夫。コツコツ練習していれば、きっとうまくなる。私は大器晩成なんだから。」・・・・・・と。

なんの根拠もないのだけど・・・・・・・・(笑)



でも、その思い通り、3年になるころには、レギュラー選手になり、すべての試合にフル出場を果たし、二段も取得。
県大会では遠的で準優勝した。


私がこうなることを2年前はだれ〜も見抜けなかったのだ。と思うと、ちょっと愉快な気持ちになった。


そんなことを最近になって再び思い出した。


自分のことを自分自身が信じてあげること。
そうすると、自分はすごい力を発揮するのではないか?

あのころは、純粋に自分の力を信じていた。
だから、あの場所にたどり着けたのではないか?


今まで人の評価に右往左往していたから、ちっとも楽しくなかったのではないか?


そんなことを考えていた。



現在、ちょっとハスに構えている自分の存在。

そんな自分を別の自分が眺めつつ・・・・・・面白いなぁと思っている。




自分の中のみずがめちゃんの夜明け・・・・・みたいなそんな感じ。

東京

先日、実家へ帰ったときに、同じく帰ってきていた弟が「こっちの方が涼しい〜。東京はもっと暑くてたまらん」と言っていた。

確かにビルやコンクリートの照り返しや、エアコンの排気などで、暑いだろうなぁというのは想像できる。


・・・・・・・・それを思うと、やっぱり今すんでいるところとか、実家のあるところとかは、比較的不便ではあるけれど、住むにはグッドなのかなぁと思う。


都内の便利さには惹かれるけどね。
勉強に行ったりしてるから、「もっと(交通の)便利な所に住みたい」と思うだけで、東京まで勉強に通っていなかったら、別に不便じゃないもん。


東京は遊びに行ったり、学びに行ったり、たまにシャキっとしに行くのがいいみたい。(私にとっては)


山に行くのと同じく、「非日常」を体験しに行く場所なのかもしれない。


あ、でも面白かったのは、息子たちが「横浜」を「都会」と呼ぶのに対して、東京は「都会」という感覚がないところ。

息子たちの意識の中では「都会=洗練されててオシャレ」で、ゴチャマゼ感が強い東京は、「ごみごみしてて人が多いところ」ってな認識みたい。


確かに、横浜を歩いている人って、オシャレ度が高いかも(偏見か?)

いや、千葉県民からみるとそんな風に見えるんだよ。たぶん(笑)

こんなに暑いと山に行きたいと思う。

子どもの頃、両親と毎年家族旅行に出かけていた。

最初のうちは海だったけど、そのうちに山が多くなり(涼しいから)、その影響からか、私と弟は山が大好きになった。

特に好きなのは「北アルプス」

あの、雄々しい尾根と稜線が好きだ。


信州は本当にいろいろ行った。




子どもが出来てからいろんな事情でしばらく山の旅行はお預けになっていたけど、3年前のライフスクールの集中研修で子連れで伊那の地を訪れてから、「山大好き熱」が復活した。


集中研修で使われる伊那路の「入野谷」は、とても女性的なエネルギーで、以前の私だったら、「う〜ん。まあまあかな」という感じだったと思うけど、お母さんになった今の私にはとても必要なエネルギーに溢れている地だった(と思う。)


今回の集中研修には不参加(そのころは息子の合宿を手伝っています)だけど、家族で上高地に行くことになった。


上高地と乗鞍と飛騨高山。


地名を聞いただけでも胸がときめく。


自分にとって「山」は非日常につながる場所のような気がしている。




・・・・・・・・・・・・・・・・・


ちょっと補足。

入野谷について、「(自分にとって)まあまあかな」と思うのは、比較的なじみのある風景であるということもあります。

あの里山自体、自分の知っている(住んでいる場所からそんなに遠くないところ)場所と似ていたりもするから。

ちょっと違うのは、関東(千葉)は平野がメインだけど、信州は山がメインだというところ。

そういう意味で、エネルギーの質はやっぱり違います。

感覚的に千葉と信州が違うと思うのは、「懐に抱かれる」という感覚が持てるというところかなぁ>信州





長男と次男

昨日は兄(中学生・卓球部)の試合(総合体育大会)と弟(フットボールクラブ)の試合がありました。

現在4年生の弟くんなのですが、なぜか6年生の試合にレンタルされ(?)6年のBチームのメンバーとして参加。

ふつう、6年はトップチーム(Aチーム)のみの出場枠しかないのに、今回特別2チーム召集されたので、5年、4年にもお声がかかったらしい。


一応、息子が出場する試合なので、あのくそ暑い中、一緒に参加した4年のママと2人で観戦に行きました。


「ずっとベンチかも〜」と思っていた母の予想を裏切り、息子ももう一人の4年(Tくん)もほとんどフル出場。


息子はDW、TくんはFWというポジションの違いはあっても、二人ともきっちり自分の仕事をしていました。(びっくり)


Bチームの6年は、上の息子を彷彿させる「のんびり・おっとりさん」が多く、競り合いになると「つい」相手に譲ってしまうんだよね〜(苦笑)


それに引き換え、弟軍団(もう一人の4年・Tくんも弟)は、負けん気が強くて・・・・・・・

息子は小さいけど、大きい6年と競り合っていました。

一度、競り合いで足を踏まれて「痛かったけど、『痛てぇよ。バカヤロー』と言い返してやった」
「6年って言っても、体が大きいだけで、全然負けている感じがしなかった。」
と私に話すので、母、かなりびっくりしたよ・・・・・・。



同じお腹から生まれたのに、兄と弟でこんなにも個性や適性が違うのだなぁと、母、日々学習しております。


試合は、1試合目が2−0で勝ち、2試合目は1−2で負けたので、トーナメント出場はできませんでしたが、即席Bチームが善戦したので(得点挙げたのは5年と4年のFW)コーチは「予想以上だった。」とお喜びでした。



母は幼いときの24時間育児からは解放されましたが、別の意味で、やっぱり忙しい。

母も日々成長しなければ、(子どもの成長に)ついていけない・・・・、子育ては大変・・・と思う反面、子どもがいるからこそ、励みにもなるし、がんばれるんだなぁと思う今日このごろです。






満月

昨日は満月でした。

山羊座で起こったのですが、なんとなく、自分自身の中に「切り替わった」感がありました。


先日も切り替わった感があったんですが、この日にさらに明確になったというか、
抽象的だけど、「自分ってこんな感じ」っていう感覚。



満月の「お財布フリフリ」と「通帳フリフリ」超お薦め。

満月に財布と通帳をかざして、「今月も臨時収入が入りました。また来月も宜しくお願いします。」ってお祈りするの。


是非おためしあれ。

いろいろ

自分の覚え書きです。


「医龍」の再放送をみていました。

ある回の放送のときに、入院中のおばあちゃんが外山先生に言った台詞。

「自分一人で生きているんじゃないのよ。まわりの人に生かされて生きているの。」


このセリフ、本放送でも聞いたけど、今回は「おおっ」と思った。



さらに、ある方の日記(ブログ)から。

「自分が女子としてだけ生きていたころのことの思い出して・・・・・・(以下省略)」




さらに別の方の日記(ブログ)から

「自分が好き勝手自由にやることを、世間の枠組みに落とし込むんだ!という目的があるなら、今からの夏が技能習得(実戦含む)本腰だよ、ということです。」






読んでる方にはなにがなんだかわからないでしょうけど、「おおっ」と思ったフレーズの数々。




そして、今、考えているのは、「風らしく生きる」ということ。



つまり、なににもこだわらず、執着しない。ということ。



思えば、女子としてだけ生きていたころは(お母さんでも妻でもなく娘としてだけ生きてたころ)何事にもあんまり執着してなかった。


それが私にとってよかったんだなぁ・・・・・・・としみじみ感じる。




そして、「生かされている」という感覚。

自分が「してやっているんだ」ではなく、「そういう仕事をさせていただいている」という気持ち。

これも大事だなぁ・・・・・・・と。




そして、ちょっとこれからきっちり本腰いれてやりましょうか・・・・・・・・という、気合い。





全部必要なモノだった。


誰かの文章や言葉を通じて語られて、自分の琴線に触れたのでメモしてみました。



やっぱり星はあなどれない。

占星術サイトで、「今ってダイナミックな星の配置」とかなんとか書かれているけど、でも自分自身はネイタルにからむ星があまりなくて、「私にはあんまり関係ないかも」と思っていた。


それよりは目の前のことをチャッチャカやらないと・・・・・・。


そう。今は仕事がてんこ盛り。
もともとワーカホリックな人間だったので、仕事するのは楽しいし、好きなんだよね〜。








でも・・・・・・・・・・

やっぱり星はあなどれないかも。

なんとな〜く、ぼ〜っとしていると、考えるのは「自分のできること。できないこと」

何が得意なのかとか、何をやりたいのとか・・・・・・・

本当にただ、漠然と、なんだけど。



でもそれって、今の星の配置の意図するところだったりするんだよね〜。^^;


来るべき冬に備えて準備する時期でもあるのかも。



注:冬にはネイタルの太陽とアセンダントにトランシットの冥王星がコンジャンクションなんですぅ。







自分が創り出す世界

ちょっと前のことだけど、ある人に対してモンモンとしてたことがあった。

最近は自分のスペースを大事にしているので、それを侵犯されたように感じ、イライラしていたのだ。


2,3日、それが消えなかったが、あるときふとあることを思い出した。



「すべては自分自身の投影であること」



はっとした。



もし、このことも自分自身が作りだしたことであるなら、自分が変われば変化するのではないか。



そう気づいたら、あとは早かった。



次にその人と会ったときに、その人はまるで何事もなかったかのように穏やかで友好的だった。
(まあ、私自身が勝手に怒っていただけだったのだけど)

そして、私自身も普通に穏やかにその人に接することができた。



要は、すべてのことが自分自身の投影だって気づくことが大事なんだな。



気づいて手放した瞬間に世界は変わる。



なんどこの経験を繰り返してきただろう。



本当にいくらでも日常から学べるんだな。

癒し

数年、地道に自分の癒しに取り組んできた。

一見、ゲンキに活動していて、「癒しなんて必要ないじゃん」と自他ともに思われてるような私の中に、ほんとうにたくさんの「行き場を失っていた感情」があった。


そして、それをくぐり抜けて(まだ最中だけど)、辺りを見回して感じることは、「ああ、あの人も」「この人も」「彼も」「彼女も」・・・・・・・・


みんながみんな、ブロックの中に閉じこめられていて、そこから抜け出せない感情の中にいて、それがその人の行動を支配しているのだ。ということだった。


彼女のあの言動や行為。
あの人のあの態度。


たぶん、薄皮を剥がしていったら、もっと自由になれるんじゃないかなぁ。・・・・・・と思ったりする。



だけど・・・・・・・



かなりの人が、現状に満足していない反面、「変わろうとしてもいない。」ということも知った。

そして、いろんなところに自分の今を投影して生きているようだ。




人間というものは、つくづく、複雑で難しい生き物だなぁと思った。私を含めて・・・・・・・

雑感

いろんなところで値上げがあって、最初は「ひぇ〜」と思っていたけど、それにちょっと慣れてから感じることは・・・・・・・・


生活が丁寧になったかも>じぶん・・・・・・・ということ。


今まで「安いから」と無駄なもの買ったり、そんなにたくさんじゃないけど、ところどころで無駄遣いしてた。

野菜とかも、無駄な使い方(皮を厚めにむいたりとか)してたなぁ・・・・・・と反省。


考えてみれば、私が子どもだった昭和の時代は、牛肉なんてめったに口に入らなかった。

それほど高級品だった。

父、母の時代になると「バナナ」が高級品だったそうな。


それを考えると、あのころよりはいろんなものがまだまだ安く手に入るのでは?と思ったりする。


在庫を把握し、無駄なものを省き・・・・・・・という生活を繰り返していたら、出費も多少減ったけど、
なんとなく生活にもメリハリが出て、「きちんと生活している」という実感すら湧いてきた。


こうなってくると、スローフードというか、多少不便でも全然大丈夫になってきそう。


私自身、もともとが「イイモノを大事に使う。」ということが好きだったから、なんでもかんでも100均という風潮は「なんだかなぁ」とも思っていた。

100均のもの、すぐ壊れたりするしね・・・・・・><


生活が厳しいことにかわりはないけど、与えられたもので楽しむというのも大事だと思う今日この頃。

おおっ

「おおっ」と思ったことがあったのでメモ。

一昨年の夏から腰が絶不調で、まるで「バアサン」のようになってしまっていて、そこからじっくりと腰の治療(癒し)に専念してきた。

ほんとにいろいろやった。

おもいついたものはほとんどすべてやった。
腰の要求を最優先してお金にいとめはつけないくらいに・・・・・


去年の春に5年ぶりに「ロルフィング」を受けたあたりから、「腰にたまっていたもの」がどんどん出てきた。

それは、怒りや陰性感情。

よくまあ、あの腰にこれだけたまっていたもんだ。と思うくらいに出てきた。

おかげで、2ヶ月間くらい外出もままならず、最低限の人にしか会わなかった。


今年に入ったころから、ようやく大元にたどりついて、こんどはNさんのボディワークを受けた。


ここでは不思議な気持ちがでてきた。


満たされなかった気持ち。自分でひっこめてしまった気持ち、などなど。



そして、先日、「さざんか」をひっこぬいたあたりから、腰の内側に一本、ピンと張りつめていたスジみたいな硬さがとれた。


なんとな〜くだけど、「オニュー」な自分になったような気分になった。



そして今日。


自分の中に自分でも感動を覚えるような気持ちが芽生えているのを実感する。


これこそが、陰性感情とか、怒りとか、満たされなかった気持ちとかを出し切ったあとに自分の中に存在していた「かけがえのない」感情だったんだ。と思った。



出し切ったあとに、でてきたもの。

私が会いたかったのはこの気持ちだ。と思った。



「箱をあけると、いろんな不幸が飛び出していきました。でも、箱の中にひとつだけ残っていたものがありました。それは「希望」というものでした。」というお話を思い出した。


陰性感情や恨みやねたみやいろんなドロドロした感情を出しきったあとに残るものは、とてもピュアな感情で、誰しもがその感情をもっているんだなぁ。


そんなことを思った。


平凡な日常をすごしているけど、いろんな気づきはどんなところにでもころがっているものみたいだね。

未来への投資

子どもが中学へ入ったら、なにかとお金がかかるようになった。

公立中学でもそうなんだから、私立はもっとかかるんだろう。
(私立に入るための塾代も聞いてびっくり・・・・・・

部活のグッズや集金も毎回「かる〜く1万は越える」

さらに、小学校の時に比べて、塾代も跳ね上がった。

・・・・・・・・でも・・・・・・・・・・


とワタシは思う。


とりあえず、習い事は子供達には無理矢理やらせているものはない。

体験させてみて、「やりたい。」「必要」と思ったものだけにしぼっている。

それと同じく、塾も[息子が喜んで通っている」ということが大前提。


小6から塾に通い初めて、成績がすごく伸びた息子はすごく自信がついたようだ。


これから先、どんな進路をとるのか、それは誰にもわからない。


でも、今、やっていることの自信や喜びは彼のかけがえのない財産になってくれると信じている。


だから、お金がかかっても、「未来への投資」(たとえ、回収できたのかどうかはわからない投資であったとしても)だとワタシは信じている。


それと同じく、ワタシがライフスクールに通って学んでいることも、「未来への投資」なのだと思う。


いっとき、「こんなんやってて、無駄なんじゃないか〜」なんて思ったこともあったけどね。
なによりも、「おおっ」と思う瞬間や「日常に生かせる感覚」や、なにより「確実に自分が進歩している。」という実感があるから、やめられないんだと思う。



わたしにとっても、息子たちにとっても、「楽しいこと」「それをやりたい」と思うことが、一番の大前提。

そういう気持ちでいろんなことを選び取っていけば、後悔することはないと感じている。

そして、それがワタシが思っている「未来への投資」なのかも。

「さざんか」 その後

実はさざんかは1本ではなく、2本あった。

いや、放置してたおかげで3本になってた。


昨日は夫が休みで家にいたので、夫にお願いして、大物のさざんかを抜いてもらった。


このさざんか、配水管の真上にあって、配水管をとりまくように根が伸びていたから、たいへんだったらしい>夫


せっかくここにやってきて、大きくなったさざんかには本当に申し訳なかったけど、ワタシはこのさざんかちゃんがなぜか自分のプロセスとシンクロするような感覚があって、さらに、昨日の夫の作業をみていて、「ああ、やっぱり」とそれが確信に近くなった。


今回、「自分の力じゃムリだ」と夫にお願いしたことも、さざんかを生えっぱなしにしていたことも、その一つ一つがすべて自分のプロセスに重なる。


そして、サザンカがいなくなったとき、ワタシはなんか一つのプロセスが終わったような気さえしたよ。
(単なる独り言です。>読んでる人は意味不明だろうなぁ。)


抜いた地面は「御砂」と「塩」をまいておきました・・・・・・・・・


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